ふう:本題に入るんだけど、多文化共生について、学んでいる理由を教えてほしいです!
ソリ:日本に住んでいる外国人として、誰よりも多文化共生なまちを望んでいるからです。山脇ゼミに入った理由は、多文化共生社会を作るためには、外国人が声を上げることも大事だと思ったからです。
ふう:なるほど。それは韓国にいたときから、元々多文化共生に興味があったのか、来日してから、日本は多文化共生があんまり進んでないから勉強したいな、って思ったのかどっちなのかな…?
ソリ:やっぱり、留学生の立場になってから初めて興味を持ちました。
ふう:そうなんだ!じゃあ、日本の改善した方がいいところとも繋がってくるんだけど、多文化共生を学ぼうと思ったきっかけのエピソードとか、日本の直したほうがいいところがあったら教えて欲しいな。日本と韓国ここが違うな、とか。
ソリ:違うところ、っていうよりは、日本で生活してきて、果たして自分が日本社会の構成員として定着できるのかという疑問が生じて。困ったときに自国ではなくて日本で助けを求めることができるのかな、という心配ができて初めて、多文化共生に興味を持ちました。
ふう:確かにそれは韓国にいたら持てない視点だね。
ソリ:いま日本にいるから、自国ではなくて日本に助けを求める必要がある時もあるけど、それができるのかなぁ、という心配があるかな。
ふう:確かにその面だと、まだまだ日本は多文化共生が進んでないなっていう感じは、ずっと日本に住んでてもするかも。じゃあ、留学生とか外国人に対するサポートができてないっていうところが改善点なのかな。
ソリ:それもあるし、多文化共生を学んでいる理由とはあまり関係がないけど、個人的に感じたことがあって。初めて日本に来たとき、私を一人の個人じゃなくて、韓国人ということに注目されて。私が意見を言うと、「韓国人はみんなそう思ってるの?」とか言われて、それが負担になって、あんまり自分の意見を言いたくなくなる時があった。国籍じゃなくて、私個人を見て、普通の人だと思ってほしいなって感じる時があったかな。日本人でも色々考えが皆違うけど、私は外国人であるという理由だけで、狭い視点で見る人が多くて、それが大変だった。自分が外国人と言ったら急にため口で話してくる人もいた。相手は2年生で、私は3年生だけど、普通の日本人の3年生には礼儀正しく敬語を使うのに、私は外国人だから急にタメ口とかで話す人も結構いてちょっと傷ついた。
ふう:そういう経緯があったんだ。じゃあ、インタビューするつもりだった内容とは全然違うんだけど、やさしいにほんごってあるじゃん。ソリは日本語ペラペラだから使う必要がないんだけど、やさしいにほんごを、日本語があまり話せない外国人に対して使うことに対してどう思う?
ソリ:うーん、時と場合によるかな。もちろん日本にいる外国人も、それぞれ日本語のレベルが違うから、それぞれに合わせて話す必要があると思う。でも、私も多文化共生の授業を受けて考えたのが、やさしいにほんごが、ある時には差別として感じられる時も結構あるし、それが日本語の学習を阻害する要因になる時もあると思う。大事なのは、話す人の姿勢かな。本当に私を配慮した気持ちで、噛み砕いた言葉で話しかけられると、自分のことを考えてくれているのを感じられるから、やさしいにほんごを使う人の気持ちとか姿勢が大事だと思う。
ふう:そうだよね。ただやさしいにほんごを使ってればオッケー!じゃなくて、1番大事なのは外国人に限らず、話す相手にどう思いやりを持って接するかっていうことだよね。やさしいにほんごを使わなくても思いやりがあればいい、っていう状況もあるし。